何も考えずに惰性でいると、外部からの刺激に反射的に生きている。またその受け取り方も過去の習慣性により人それぞれ。すべて相対的なものと感じる。その外界からの刺激は言葉に変換されて自分の中で"これはこういうことだ"と納得している。その言葉の内容も自分が変わる度に変化している。”他のものに心を移さず~からの文について、先ず”我等に身も心も任せて歩み居らば”の我等の存在を信ずる心を持ちたい。実際のところはまだ”有難い教えの中の架空の存在”くらいに思っているかもしれない。日常生活の中で常に教主はじめ貴尊方の目があるとの意識を保てていない。動物性に実感を持っているせいなのか。
動物性…動物は外部からの刺激に反射的に生きている。虫が触覚を動かしながら彷徨うイメージ。
物質的なものはエントロピーの法則のようにやがて崩壊し平衡状態になる。それに逆らうものは情報との事。情報…知性や智慧を情報と置き換えると魂や生命意志と言われるものも何となく実感できる。そこに知性がなければこの世は崩れていくだけ、又は何もない平衡状態の死の世界なのかもしれない。
何となく智慧に太陽のイメージが湧く。