ktmのブログ

未知日記を読んだ心象を記事として記録しています。なのでこれは独り言です。

ktmのブログの新着ブログ記事

  • 第十講 絶対界と不滅母の関係No.7

    我、今、科学者の声を聞く。彼は言う、科学は理をきはむればきはむるほど深淵にして、何処迄追い求むるも、到底人智の及ばざること遠しと語り居れり。然り、然あるなり。哲学者又然り。然るに宗教者は宗教上より理をきはめんとするもの稀なり。故に宗教は学者に怯えて次第に影を、うすらげ居ることも事実に於て見らるる現... 続きをみる

  • 第十講 絶対界と不滅母の関係No.6

    全宇宙と云ひ宇宙と称するも唯言葉の相違にて、始めなく終りなきものの中に於て、唯種々様々に変化するにすぎざれば、帰するところはその変化も絶対の中に含まれあるが故、相対と云ふも絶対の部に属するならん。不滅母の中にありて合しては離れ、離れては合するにすぎざるなり。人体と雖も種々様々の細胞が結合して組織さ... 続きをみる

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  • 第十講 絶対界と不滅母の関係No.5

    有魂の理をきはめ無魂の理をきはむるにあらざれば、すべては明白とはならざるなり。諸子の修行は未だ有心より無心に至り居らざる人きはめて多し。故に迷ひを深くしてさとる事を得ざるなり。有心と云ひ無心と云ふも一体化すれば有心となる。されど是等をはたらかす力備はりたるが故に、時には無心にもはたらかせ有無何れに... 続きをみる

  • 第十講 絶対界と不滅母の関係No.4

    一度教へを受けなば相寄り相助けて共に共に道を歩むべし。己のみぬけがけの功名をせんなど愚なる心を起すこと勿れ。拝みせよと教へられて諸子は唯外をのみ拝す。是等は拝みにあらず。泰岳の如く処かまはず所嫌はず拝みをなし居りたるが故に、早く天界の地に引き上げられて円満したる霊と化せられたるなりとの話は、円海に... 続きをみる

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  • 第十講 絶対界と不滅母の関係No.3

    兎に角絶対界とは不滅母界を指すにて、不滅母は多くの霊子を産み育て、其が宇宙或は全宇宙を造り居ることの理は、最早諸子にも理解する事を得たらん。是等は宇宙全宇宙の組織なるが故に、別段諸子の修養修行の材料とするには余りに広大無辺にして、たとえ其理をきはめ尽すとも修養修行の為には、聊か縁遠き感じの如く思は... 続きをみる

  • 第十講 絶対界と不滅母の関係No.2

    今慈音が、欣情に向つて早く自己に有する魂の何なるかを発見せよと、さとし居るを我は聞きて喜ぶを感じたるなり。人間に生まれて魂を知らざる人は宝の山に入りて手を空しくして帰るに等し。不滅母霊子より生れしめられたる魂を持ちながら、その広大無辺なるはたらきをすら知らずして、空しき一生を送る如きは、是人道を誤... 続きをみる

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  • 第十講 絶対界と不滅母の関係

    この書の始めより説き来りたる如く無始終霊子は、不滅母の子なりと語りたり。不滅母と云ひ無始終霊子と云ふも帰するところは一にして、何れを其と定むることあたはざるなり。是等はとにかく言葉の相違にて、諸子に語り居るにすぎず。無始終霊子は種々様々のものの集合にして、是を統括したるものを名づけて不滅母と承知せ... 続きをみる

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  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.9

    理由なくして人を殺す。是を殺生として罪悪と見なすならば、戦争によつて多くの人命を奪ふ。是等も罪となるべき筈なるに不拘、是は正当防衛なりとして罪せらるるにあらずして、却て称美せらるるは実に滑稽至極と云はざるを得ず。諸子の世界には斯くの如き迷信妄信の絶えやらぬにてはあらざるか。我等の眼より見れば是等の... 続きをみる

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  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.8

    一服の薬を以て万病を治癒すと云ふが如き、完全無欠の薬品はあらざるべし。然るに薬屋の看板を見ればかかる誇大の広告を認めあるにてはあらざるか。是等を諸子は迷信とは思はざるや。諸子の世界には余りに矛盾したる事柄多し。是等を一々清除して正しきものに改めなば其にて可ならん。何はともあれ、気の力はかくの如き大... 続きをみる

  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.7

    兎に角無気より有気に至らしむる故に、是等の気力が人心に及ぶのみならず、延いてはすべての動植物に至る迄通達なし居ることは異論の余地なし。唯諸子にはそのはたらきの原因を認識することを得ざるに他ならず。気学の真髄をきはめなば、世の中に不思議と云ふもの一としてあらざるなり。悪魔と云ふも気のはたらきに他なら... 続きをみる

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  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.6

    此無気に関して学理的に説明することを得れど、無知蒙昧の人或は無学の徒に語るとも、認識せしむること難きが故に、唯斯くすれば斯くなると語りし事柄が、現今に至つて迷信妄信となりたること余りに多し。故に科学者が宗教迄排斥するに至りたるなり。もとより無気の原理よりそれが枝葉に入りたるため、全くかけはなれたる... 続きをみる

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  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.5

    無気学を研究せば迷信妄信は悉く排除することを得るなり。有気学のみにては往々間違いを生ず。されど無始終霊子より研究するならば、無気学有気学共に同一歩調を辿るものにて誤つものにあらず。中途因果の法則を旨とし居る諸子の世界なるが故に、甲論乙駁絶ることあらざるなり。絶対性原理とは即ち無始終霊子を、原因とし... 続きをみる

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  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.4

    今や慈音はこの無気の教へをうけて盛に研究なし居るにて、有気の原理は既にきはめ尽しての後なるが故に、彼は無気に対して日夜工夫もし行じ居るなり。無機の原理を把握してそれによつてすべてにあたらば、決して暗黒の世界にふみ迷ふものにあらず。盲者の慈音に於てすら行ずればかく迄進み得る具備あると知らば、何不自由... 続きをみる

  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.3

    例へばここに大なる地震をこりて多くの被害をあたへたる時、その後に至つて研究すとも其は後の備へのために計る方法となるに依つて、所謂葬式すんでの医者ばなしとなるにすぎざらん。是を順に研究するならば、地震の発生せざる以前に予知する方法を講じをかば、災害をまぬがれ得る事は誰も異論の余地はなかるべし。有より... 続きをみる

  • 第九講 有気と無気との働かせかたについてNo.2

    諸子の言葉に去る者は日々に疎しと云ふあらん。その言葉の如く有気が次第々々に去り行けば、軈ては無気に化せられる事の意味なりとして考究し見よ。有気の中に含まれ居る無気の力は、ものを遠ざける方向に向ひ居る如く感ぜられるならん。然りとせば有気のはたらきより無気のはたらきが、何れを大なる力ありやと云ふに至つ... 続きをみる

  • 第九講 有気と無気との働かせかたについて

    未知日記前巻自在論に於て語りをきたる如く光源体性気源体性なるもの、即ち、是等も帰するところは気に他ならず。光源と云ふも気なり。然らば光源は如何なる気に属するやと云ふに、諸子の考へにては肉眼に映る光は光気と思ふならん。肉眼に見ゆる光は、気によつてすでに実在化なしたるものにて、謂はば空の中の実在に化せ... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.10

    我今欣情慈音に対して注意することあり。汝等舜策故人に対する質問は余りに必要ならざることを聞き居る事は悪し。日々生活に於て己自らが修養の糧となるべき方向に向かつて、質問し其によつて己が徳をつむことに努力せよ。斯ることは気に対して重大なる事柄なるによつて注意なしをくものなり。空しき質問は却て修養のさま... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.9

    魂の気によつて相手方の精神状態を鑑別し、其によつて適宜の処置をなすは、霊気の任務なるが故なり。例へば相手方の性質を、魂によつてさとり得たらば、そのものに対して魂気が働かんとする時、霊気を伴ひて共に是にあたるが故に、任務は完全にはたさるると知らば可なり。故に悪化せしめんとすれば霊気は是に従ふ。善化せ... 続きをみる

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  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.8

    ここに注意することあり。魂の気と心の気との鑑別法は、如何にせば良きかと云ふに対して一言語りをくべし。例へば人と相対する時俄かに一種の気力が感じ来る底の如きは作りたる気なるが故に、是等は心気と見なして可なり。されど相対したる時より一種の霊気に打たれて、我自ら威儀をただすの止むなきに至る底の気力は、先... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.7

    今も慈音と欣情が国家の再建に対して、憂慮の言葉もて語り居るを我は聞きたり。両人の語るところを聞けば、日本の如き戦乱のあと今尚人心動乱して安からぬ世相にありて、是を再建せんと計り居る政治家の常識の不完全なるに対して、痛歎なし居るを聞く。実に尤なることなり。されど是等は光明論に於て教主の語られし如く、... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.6

    諸子の口にし居る神懸りと称するものは、すべて気の現はれに他ならず。気の感じをうけて其が神懸りの如く、又神の声とも聞かれて迷ひを深くし居るなり。即ち神懸りとか云ふことは、霊気の波長にすぎざるなり。我かく語れば慈音と我との間は如何。これ等も気の感じなるかと疑ふならん。もとより我と慈音との関係は霊気と霊... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.5

    現今諸子が心に病ひつつある戦争に対しても、霊気学の蘊奥をきはめたる人ならば、直ちにその真実をきはめ得ることいと易し。然してその結果に於ても斯くなると云ふ結論に迄、明らむることを得るなり。是等に関しては教主が無言詞の教へをなすにあたつてくはしく語り給ふところなれば、我等は是を避くべし。兎に角真実性よ... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.4

    気を計る方法には種々様々の行ひあれどその骨子とするところは、魂に感ぜしむるにあるなり。心整ひ魂整ひたる人ならば、気によつて天変地異を知る事も至難にはあらざるなり。音楽家は音の気によつて諸々の事柄を感じ、宗教行者はその行の方法によつてすべてを感ず。是等の類を名づけて霊気感応と云ふなり。円海は初対面の... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.3

    子に対する親心と云ふも是皆心より放散する気の現はれに他ならず。心より気を放散して常に親は子に接し居るなり。子も亦同様なれど親の心と子の心は、尺度に於て相違あるのみ。帰するところは相互に気を交はせ居るにすぎざるなり。是が一層ふかくなりて魂気と魂気の交はりに化すれば、同じ親子関係に於ても、相違あること... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.2

    気の中には陰気あり、又陽気あり、或は盛気あり、衰気あり。されど盛気は陽に属し、衰気は陰に属す。されば帰するところは陰陽の気にすぎざるなり。気学と称して特別に設けられたる教へあり。この教へはすべて行者の如くむづかしき教へはあらざるならん。気学を授かりてその全きを得たる行者は、円海泰岳の如き者に於てよ... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なり

    諸子の言葉に気をつけよとか、気にかくる勿れとか、気にさわりたらば許されよとか、或は又狂人と見てきちがひとか云へる語を用い居るならん。気の範囲は余りに広くしてややもすれば心の動きと混同するため、気にかかるとか心にかかるとかの区別明らかならざる点少なからずあるなり。我思ひを言葉によつて組織せらるれば、... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き10

    我等よく耳にするところなるが諸子の中には斯ることを気に病む勿れと云ふ言葉を用い居るにてはあらざるか。気に病むとか気にかけるとか云ふ言葉のある以上、気に対しての事柄は諸子もよく知るところならん。霊には霊気あり、魂には魂気あり、心には心気あり、肉体にも亦身気のあるは是当然の事にして、此の気を静止せよと... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き9

    我、斯く語るとも裸体となりて世を渡れよと云ふにあらず。誤ちたる習慣によつて作られたる現在の世界に生れ出でたる諸子なれば、今更是を己のみ改めんとすとも其は難し。されど諸子には幸に大切なる心魂霊の空の尊き姿を有す。是には汚れたる衣を纏はせずともよく育ち得るが故に、是に気を病ますこと勿れ。病気せずば健全... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き8

    二流界の人類は職衣を纏ふと語りしを諸子は如何に想像するや。諸子の世界の人類と二流界の人類との区別は如何に空想をたくましくすとも、到底察することを得ざるべし。是等は諸子にして自然を知らざるが故なり。自然に順じて自然の道理を知らしむれば、自ら此理は明らかに認知することを得るは難きにあらざるなり。神は始... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き7

    兎に角心身一体となり、更に心魂一体となり、更に進んで魂霊一体となるとも、こりかたまりて自由を失はざるやう注意せざるべからず。やはらかき交はりになりて、思ふがまま何事に限らず、なし遂げる底の睦みにあらざれば、真の自由にあらず。心身魂霊は始めより其素質が柔らかとなり居るによつて、兎に角本然の姿に立ち返... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き6

    神の律法を知りたる人は宜しくその律法に従ひ居らば、神は決して捨つるものにあらず。軈ては雑草の中より見出して、是を安全なる地に植え給ふことの理を、よくよく合点せられよ。我一人のみと云ふ考へを早く捨てよ。霊地にたとひ雑草多くとも其雑草の中の一輪の花となりて、是を咲かす行為を日々なし居らば何日かは神の手... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き5

    余事は兎に角諸子は多くの悪き種子を霊地に植えつけて育つるが故に、悪き花悪き実の結ばるることに留意せよ。すべて諸子の恵みするは心よりの恵みにて、魂よりの恵みにあらざるが故に、前期の如きわづらはしき因縁となるなり。是等は中途因縁の法則にて、所謂相対自然の現はれに他ならずと知るべし。霊地より育ちたる魂の... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き4

    善不善は我等の知るところにあらず。何となれば汝等の世界の善不善は神界より見る時は、真の善悪にはあらざるが故なり。汝等は己の心に染まざれば是を不善と思ひ、心に合へば是を善として取り扱ひ居るが故なり。故に神の善悪と諸子の善悪の区別には、大なる相違あるが故なり。霊気を受けたる真の魂は、神の善悪をよく知る... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き3

    されば人間の大切なるものは、その根に相当する魂なることの理より察すれば、魂を磨かずば真の人間にあらざる事の道理は察せらるる筈なり。故に、魂は霊地の徳に従ひてこれを吸収して、幹を肥大せずば真の人とはならざるなり。心の枝葉は繁りたりとて、細き幹にては木の徳を現すこと難し。米に於ても亦同様の理を発見する... 続きをみる

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  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き2

    故に是等は魂屑となりて捨てられ、永遠の苦みを受くることは諸子も朧気ながら察することを得るならん。我等の見るところ我等が験するところによれば、九流界以上の人間には魂屑など見度くもあらざるなり。魂屑の多くは、諸子の世界の如く十流界以下の人間に多し。円海がこだま会にて、神が人間をつくりて多くの魂を得んと... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き

    心は、肉体関係より休養することあれど、魂は然らず。是等の事柄は未知日記前巻にて既に語り尽くしたれば、諸子も承知なし居るところならん。魂に多くの雑事を記録せしめあるによつて、雑念妄想となりて心気を照らす。故に心を清(す)まして気体を清除し居らば、魂に雑事を記録することなからん。雑事を記録することなけ... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について

    二十四日のこだま会に於て円海が陰にミキョウを伴ひ来たりて、心魂の説明をなしたるに対し、諸子は尚も詳らかにその意味を語れよと追求なせしには、円海も聊か呆れはてて是に確答をあたえざりし。会員の諸子の程度は今尚かくの如し。彼らは手品を見てその種明かしを教えられてなおも解せざると同様の姿なり。会員に於いて... 続きをみる

  • 更新

    みちびきがまた更新されてて嬉しい。ユーさんに感謝。😭良かった。

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  • 振り返り

    昨年はほんとうに色々あったけれど、ユーさんのブログと未知日記を知れたことはとても大きな出来事だった。まだ知ってからは一年もしないうちに目まぐるしく変化があった。未知日記は本当にすごい… 感謝しかありません。

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  • あ…

    このところ自分のなかでトンネルに入ったような感じがあったが、やっと抜け出せそうな気がする。 この人間社会を生きるなかで、情熱をかけてやってきたこと、時間がどれほどあっただろうか。どれもしばらくすれば飽きてしまい長続きしなかった。 お金と良い人間関係… これがあれば必死にあれこれやるタイプでは無い怠... 続きをみる

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  • 無始終

    無始終に対してのイメージに変化あり。 これまでのイメージ 初めも終わりも無い時間の概念から外れた不可思議な何か尊いもの 大霊界を読み直してあらたなイメージとして 円のように循環しているものや事象 との認識に変化 これだと身近な事で様々なものが浮かぶ 特にこの思考という行為もコトタマ循環で先天から後... 続きをみる

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  • この独り言ブログにお星様やコメントを下さっている方が居て急にアタフタしております …:(•ㅿ•`): 部屋の中で一人踊り狂ってたら外の人と目が合った的な。皆さんブログや文章が凄すぎて赤面の至りでした。 拝みってなんだろう…真の拝み。"感じ" ”拝み”"智慧”が‎グルグルしている。未知日記を読んでか... 続きをみる

  • 感じ

    感じとは何か?この所頭の片隅にいつも感じとは?との問いがある。思ったことをここに書いておこう。 物事が順調な時、未来への不安が無い時。 一見良さそうに思えるが、その時思考は過去に向かい新たな模索が無い。これで大丈夫、何もしなくても良いとリラックスしている。その時は無形のものへの意識は薄く身体的感覚... 続きをみる

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  • 無題

    叶わぬ時の神頼みの心持ち。 ここの所良い事ばかりで毎日感謝の日々を過ごさせて頂いている。そんな中で兄との話の中で、「上手く言っていても叶わぬ時の神頼みのような心持ちで拝み続けれればほんとは悪いことなんかおきないのかもしれないなぁ」と話した。現金なもので、上手く行かない、行き詰まらないと真剣な拝みに... 続きをみる

  • No.53

    仕事をして家に帰って食べたいものを食べ、見たいものを見、眠ければ寝る。何も考えずに過ごせばこうなってしまう。 肉体を精神的に進ませよ… 肉体を精神的に進ませることとは… 空腹を感じただ自分の好きな物を好きなだけ食べる。そんな生活から未知日記を読んでからは必ず厳戒の辞を唱えてから食べるようにしている... 続きをみる

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  • No.52

    未知日記 大霊界を読み進めるうちに初めとは違う印象を覚え始めた。死後の未知なる世界が広がっていると思っていたが、よくよく繰り返し読んでいくと今の地上での生活にも似ているところが沢山ある事に気がついた。 と言うより地上の生活はその後の活動の練習なのではないか?と思うようになってきた。 選魂界について... 続きをみる

  • 雑感

    化学反応について偶然知り得た事を基にふと思ったこと 無言詞という認識前の 感じ の状態から言語として認識出来る状態になるということは高エネルギー状態からエネルギーが低い安定した個、 事、言葉になること。逆に考えれば言葉として認識出来る時点で既にある程度、そのなにか?エネルギーのようなものは失われて... 続きをみる

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  • No.51

    人間性と動物性という未知日記でよく語られる事について、仕事柄色々と考えさせられることが多い。人間が動物性と人性の間に居ることが改めて感じられる。智慧の発達が未熟だとこうまで動物的になるのかと驚く。そして未知日記で指摘されている点も正にその通りで実地で体験させて頂いていることに何か不思議なものを感じ... 続きをみる

  • No50

    最新の量子論の仮説が未知日記の内容に近づいて来ているようだ。よくよく考えればインターネットの普及や仮想空間が流行りだしたのも未知日記の言う如意界のように感じる。人は自然から学んでそれを真似し利用してきたと思うがそういった近代的なもの…と思っていたものも、とうに自然界には存在しているのかもしれない。... 続きをみる

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  • No.49

    仏教に答えを求めていた時は、学ぶ度に湧いてくる疑問に答えられる大人は居らず、最後には唯信じなさいとのことであった。それでも気づきはあったが、その信じて向かう先が子供ごころに現世利益であることを感じてかなりバランスを崩していたように思う。社会で成功した同士を信仰のお陰だと、勝利だとすることに何の疑問... 続きをみる

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  • 無題

    自分がしてあげたと思っていること。時間、物やお金。でもその全ては自分が一から創り出したものではなかった。全ては借り物。もし何かあるとしたら、その時の想いや感じたその労苦とか…そういう"感じ"しかないのかもしれない。身体を使って仕事をしてお金を頂いて、それは自分の成果だと思っていたけれど、肉体の維持... 続きをみる

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  • No.48

    動物性と人間性…種智。魚には魚の、鳥には鳥の特有の知恵が誰から教わらずとも備わっている。本来備わっている人の智慧として言霊に興味を持って学んできたつもりだが未知日記を読む前と後では捕え方が変わった様に思う。ここまで広大な範囲を宇宙が含んでいるとは想像もつかなかった。距離や空間的には無限に近いとは思... 続きをみる

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  • No.45~47

    数年前からずっと課題だった"空"。 空を悟れ、空を掴め、空とは何ぞ。 コトタマの学びをしている時も未知日記を読んでいてもで出てくる"空"。 今現在の空の認識を書いておく。また来年はどう捉えているか、参考までに。 未知日記には実間という言葉も出てくる。対義語のように使われているように見える。 それが... 続きをみる

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  • No.44

    不思議なことに、今日この所の記事を書こうと決めて生活していると後からまるで測ったように関連した事柄が起きている。これも見えない存在のなせる技なのか。  今日たまたまネットで、ボケた祖父が突然正気を取り戻した話を見た。認知症発症中の自分の行動も正気を取り戻した際はほぼ分かっていたらしい。 これはよく... 続きをみる

  • No.43

    死してからも魂は不滅として存続する… これを前提にして果たして生活しているか? 実生活においてその類の話は全て宗教的に受け止められてしまって、単なる個人の信条位にしか思われない。実社会における理念にも、例えば医療や介護の分野においても魂の不滅が本当に事実として受け入れられる社会になれば全く違う形に... 続きをみる

  • No.42

    何も考えずに惰性でいると、外部からの刺激に反射的に生きている。またその受け取り方も過去の習慣性により人それぞれ。すべて相対的なものと感じる。その外界からの刺激は言葉に変換されて自分の中で"これはこういうことだ"と納得している。その言葉の内容も自分が変わる度に変化している。”他のものに心を移さず~か... 続きをみる

  • No42

    1時間くらいかけて記事を書いてみたのですが手違いで全て消えてしまいました。           (´・ω:;.:... もっと良く読み込んでから書きなさい!との貴尊方からのメッセージかもしれませんね。また明日読み直してからもう一度書いてみよう。

  • NO.41

    休日になるとついこれまでの習慣性、惰性で過ごしてしまいます。休日くらいはのんびり過ごして身体をやすめないと…と ダラダラと過ごしていると普段より調子を崩すのもそれは自然の法則では無いからなのかもしれません。恐ろしきは習慣性「惰性」。 肉体は使うと消耗するのだから休ませれば回復する…というのも固定観... 続きをみる

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  • No.40

    2回目を読んでみて改めて不思議に思った事は、コトタマを学んでいて数年間分からなかった部分の答えが突然目の前に現れたことと、緒言の初めに言霊について触れてあることでした。 まさに不思議なみちびきでした。

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