ktmのブログ

未知日記を読んだ心象を記事として記録しています。なのでこれは独り言です。

2024年2月のブログ記事

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.5

    現今諸子が心に病ひつつある戦争に対しても、霊気学の蘊奥をきはめたる人ならば、直ちにその真実をきはめ得ることいと易し。然してその結果に於ても斯くなると云ふ結論に迄、明らむることを得るなり。是等に関しては教主が無言詞の教へをなすにあたつてくはしく語り給ふところなれば、我等は是を避くべし。兎に角真実性よ... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.4

    気を計る方法には種々様々の行ひあれどその骨子とするところは、魂に感ぜしむるにあるなり。心整ひ魂整ひたる人ならば、気によつて天変地異を知る事も至難にはあらざるなり。音楽家は音の気によつて諸々の事柄を感じ、宗教行者はその行の方法によつてすべてを感ず。是等の類を名づけて霊気感応と云ふなり。円海は初対面の... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.3

    子に対する親心と云ふも是皆心より放散する気の現はれに他ならず。心より気を放散して常に親は子に接し居るなり。子も亦同様なれど親の心と子の心は、尺度に於て相違あるのみ。帰するところは相互に気を交はせ居るにすぎざるなり。是が一層ふかくなりて魂気と魂気の交はりに化すれば、同じ親子関係に於ても、相違あること... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なりNo.2

    気の中には陰気あり、又陽気あり、或は盛気あり、衰気あり。されど盛気は陽に属し、衰気は陰に属す。されば帰するところは陰陽の気にすぎざるなり。気学と称して特別に設けられたる教へあり。この教へはすべて行者の如くむづかしき教へはあらざるならん。気学を授かりてその全きを得たる行者は、円海泰岳の如き者に於てよ... 続きをみる

  • 第八講 魂霊のつとめは気なり

    諸子の言葉に気をつけよとか、気にかくる勿れとか、気にさわりたらば許されよとか、或は又狂人と見てきちがひとか云へる語を用い居るならん。気の範囲は余りに広くしてややもすれば心の動きと混同するため、気にかかるとか心にかかるとかの区別明らかならざる点少なからずあるなり。我思ひを言葉によつて組織せらるれば、... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き10

    我等よく耳にするところなるが諸子の中には斯ることを気に病む勿れと云ふ言葉を用い居るにてはあらざるか。気に病むとか気にかけるとか云ふ言葉のある以上、気に対しての事柄は諸子もよく知るところならん。霊には霊気あり、魂には魂気あり、心には心気あり、肉体にも亦身気のあるは是当然の事にして、此の気を静止せよと... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き9

    我、斯く語るとも裸体となりて世を渡れよと云ふにあらず。誤ちたる習慣によつて作られたる現在の世界に生れ出でたる諸子なれば、今更是を己のみ改めんとすとも其は難し。されど諸子には幸に大切なる心魂霊の空の尊き姿を有す。是には汚れたる衣を纏はせずともよく育ち得るが故に、是に気を病ますこと勿れ。病気せずば健全... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き8

    二流界の人類は職衣を纏ふと語りしを諸子は如何に想像するや。諸子の世界の人類と二流界の人類との区別は如何に空想をたくましくすとも、到底察することを得ざるべし。是等は諸子にして自然を知らざるが故なり。自然に順じて自然の道理を知らしむれば、自ら此理は明らかに認知することを得るは難きにあらざるなり。神は始... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き7

    兎に角心身一体となり、更に心魂一体となり、更に進んで魂霊一体となるとも、こりかたまりて自由を失はざるやう注意せざるべからず。やはらかき交はりになりて、思ふがまま何事に限らず、なし遂げる底の睦みにあらざれば、真の自由にあらず。心身魂霊は始めより其素質が柔らかとなり居るによつて、兎に角本然の姿に立ち返... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き6

    神の律法を知りたる人は宜しくその律法に従ひ居らば、神は決して捨つるものにあらず。軈ては雑草の中より見出して、是を安全なる地に植え給ふことの理を、よくよく合点せられよ。我一人のみと云ふ考へを早く捨てよ。霊地にたとひ雑草多くとも其雑草の中の一輪の花となりて、是を咲かす行為を日々なし居らば何日かは神の手... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き5

    余事は兎に角諸子は多くの悪き種子を霊地に植えつけて育つるが故に、悪き花悪き実の結ばるることに留意せよ。すべて諸子の恵みするは心よりの恵みにて、魂よりの恵みにあらざるが故に、前期の如きわづらはしき因縁となるなり。是等は中途因縁の法則にて、所謂相対自然の現はれに他ならずと知るべし。霊地より育ちたる魂の... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き4

    善不善は我等の知るところにあらず。何となれば汝等の世界の善不善は神界より見る時は、真の善悪にはあらざるが故なり。汝等は己の心に染まざれば是を不善と思ひ、心に合へば是を善として取り扱ひ居るが故なり。故に神の善悪と諸子の善悪の区別には、大なる相違あるが故なり。霊気を受けたる真の魂は、神の善悪をよく知る... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き3

    されば人間の大切なるものは、その根に相当する魂なることの理より察すれば、魂を磨かずば真の人間にあらざる事の道理は察せらるる筈なり。故に、魂は霊地の徳に従ひてこれを吸収して、幹を肥大せずば真の人とはならざるなり。心の枝葉は繁りたりとて、細き幹にては木の徳を現すこと難し。米に於ても亦同様の理を発見する... 続きをみる

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  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き2

    故に是等は魂屑となりて捨てられ、永遠の苦みを受くることは諸子も朧気ながら察することを得るならん。我等の見るところ我等が験するところによれば、九流界以上の人間には魂屑など見度くもあらざるなり。魂屑の多くは、諸子の世界の如く十流界以下の人間に多し。円海がこだま会にて、神が人間をつくりて多くの魂を得んと... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き

    心は、肉体関係より休養することあれど、魂は然らず。是等の事柄は未知日記前巻にて既に語り尽くしたれば、諸子も承知なし居るところならん。魂に多くの雑事を記録せしめあるによつて、雑念妄想となりて心気を照らす。故に心を清(す)まして気体を清除し居らば、魂に雑事を記録することなからん。雑事を記録することなけ... 続きをみる

  • 絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について

    二十四日のこだま会に於て円海が陰にミキョウを伴ひ来たりて、心魂の説明をなしたるに対し、諸子は尚も詳らかにその意味を語れよと追求なせしには、円海も聊か呆れはてて是に確答をあたえざりし。会員の諸子の程度は今尚かくの如し。彼らは手品を見てその種明かしを教えられてなおも解せざると同様の姿なり。会員に於いて... 続きをみる