ktmのブログ

未知日記を読んだ心象を記事として記録しています。なのでこれは独り言です。

第八講 魂霊のつとめは気なりNo.8

ここに注意することあり。魂の気と心の気との鑑別法は、如何にせば良きかと云ふに対して一言語りをくべし。例へば人と相対する時俄かに一種の気力が感じ来る底の如きは作りたる気なるが故に、是等は心気と見なして可なり。されど相対したる時より一種の霊気に打たれて、我自ら威儀をただすの止むなきに至る底の気力は、先づ魂気と見て差支えなからん。魂気と雖も或場合作られざれば現はれ難きこともあるによつてなり。是が一層強化せられて霊気とならば眠り居る人の傍にありてもその気に打たれて、何となく己が身の縮むを感ずる底に迄働く力の備はりあるによつて、心魂霊の働きに対して鑑別することを得るなり。先づ是等の事柄を理解しをかば可ならん。

 霊気の中にも亦種々様々の相違あることに迄研究を進めざるべからず。霊気は自然の姿にして是に魂気が加はるによつて、又異なる働きと化せらるる故なり。霊気の備はりたる人は柔らかにして円満なるが故に、一見圧せらる如き感じを与ふれど秒時にして其が柔らかとなりて、何となく親しみを覚ゆる底に化せらるる故なり。されど是に魂気を与ふれば或は圧力となり、或は引力となるによつて、其処に又趣を異にすること多し。