ktmのブログ

未知日記を読んだ心象を記事として記録しています。なのでこれは独り言です。

絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き6

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神の律法を知りたる人は宜しくその律法に従ひ居らば、神は決して捨つるものにあらず。軈ては雑草の中より見出して、是を安全なる地に植え給ふことの理を、よくよく合点せられよ。我一人のみと云ふ考へを早く捨てよ。霊地にたとひ雑草多くとも其雑草の中の一輪の花となりて、是を咲かす行為を日々なし居らば何日かは神の手汝に至らんこと疑いなし。水したたり微なりと雖も大海に満つ。切那の造罪咎無遍に坐すと云ふ、仏教の教へあるにてはあらざるか。一滴の水集りて大海に船を浮ぶ。是柔らかなる集りがかくも大なる力を有す。然るに執着の力強くして集らば、その水は氷となりて船を浮かぶることあたはざるべし。柔らかき土は凡てのものを育つ。かたき石は是を育つること難からん。是等の道理をよくよく翫味して大なるさとりを得よ。諸子の信仰はすべて氷となる信仰、或は石となる信仰に化せられつつあるによつて船を浮かぶることも、ものを育つることもなし難きなり。水の如く柔らかに、土の如く柔らかになりて、船を浮べ、ものを育つる信仰に化せよ。水ははじめより、氷にあらず。土ははじめより、石にはあらず。故に諸子は中途自然の信仰を旨とし居るが故に、氷ともなり石ともなるなり。氷も石も本来に立ち返へらば、水となり土となる。空気もこりかたまれば液体となり、更に進んで個体となる。斯くなりては空気としてのはたらきはなさざるなり。広き心広き魂と化せらるるにあらざれば、多くの衆生を育つること難からん。宜しくよく広き心を以て衆に交はるべし。一つのものに固着する勿れ。未知日記前巻に述べたる如く、凝り固まらば念となりて残りて罪となることの教へは、諸子既に承知なし居るならん。念を残さぬ大空に、魂を充満せしめよ。是霊気の現はれなりと知るべし。

絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き5

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余事は兎に角諸子は多くの悪き種子を霊地に植えつけて育つるが故に、悪き花悪き実の結ばるることに留意せよ。すべて諸子の恵みするは心よりの恵みにて、魂よりの恵みにあらざるが故に、前期の如きわづらはしき因縁となるなり。是等は中途因縁の法則にて、所謂相対自然の現はれに他ならずと知るべし。霊地より育ちたる魂の力より現はるる慈悲の恵みは、広大なるが故に決して曲げらるるものにあらず。神は正しき道を歩ませんがために、危うき所をもつくり給ひしなり。是を絶対自然と云ふなり。霊地に悪き種子を多く撒きてよき種を少なくせば、よき種は悪しき種子の為害せられて発育をさまたぐ。此理は諸子もよく知るところならん。されど悪き種子あるによつてよき種子が光彩を放つなり。もしよき種子なくして悪き種子のみならば、其悪きものには善悪の区別定むること難からん。この事柄より推測せば自然の中に善悪の区別備はりあることの理は語らずとも知ること得ん。諸子は雑草の中より珍らしき花を探り求めて是を育てて楽しむことの体験はあるならん。雑草の中にすら美はしきものの交りあるは、即ち神が自然の徳によつて諸子を導かんとなし給ふ深き慈悲の恵みなりと知らば、何か其に対して一種の真理を発見することあらざるや。雑草の中に珍しき一輪の花を発見して是をぬきとり、他に植ゆるその心に対して何か一種の考へを深くし見よ。諸子は我一人世の中に於て善事をなすとも、多くの人の中にありては何等の価値もなしと思ひて、大衆と同様に悪事をなさば雑草と共に刈り取らるるは当然なり。されど悪人の中に唯一人の善者あらばぬきとられて他に植えらるる道理をさとりなば、雑草の中の一輪の花にも修養の道の教へはあるならん。

絶対界の転記続き 第七講 魂の気と霊気との関係について 続き4

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善不善は我等の知るところにあらず。何となれば汝等の世界の善不善は神界より見る時は、真の善悪にはあらざるが故なり。汝等は己の心に染まざれば是を不善と思ひ、心に合へば是を善として取り扱ひ居るが故なり。故に神の善悪と諸子の善悪の区別には、大なる相違あるが故なり。霊気を受けたる真の魂は、神の善悪をよく知る力備はりあるが故に、神に対して従ひ行くによつて善悪の正しきをよく知る。故に霊気に化せられたる魂は、決して神を犯すものにあらず。神を犯さぬものにあらざれば正しき善人とは云ひ難し。諸子は宜しく此理を弁へてひたすら神の法則に従ひ居らば其れにてよし。是即ち霊地と魂との一体化なしたる故なり。

 諸子の世界の律法(オキテ)は人と人との約束なるが故に、神の律法に反すること多し。今も欣情と慈恩の間に語り居る話にても知らるる如く、施したる情けが却て施したる者に仇となりて現に欣情は苦み居ると語り居れり。是等は人と人との約束が、神の律法に合はざる結果の現はれなるによつてなり。人より恩恵を受けて感謝の心なき者に、恵をなすとも、その者が恩を仇にてかえす如き人間道徳に外れたる行為を敢てして、其が法網をまぬがるるものならば、斯る曖昧なる律法は律法にあらず。神の律法は決して曲げらるるものにあらず。恩をうけて仇を以て酬ゆれば、何日かは亡ぼさるる時至るは当然なり。恩を仇で返へすが如き人にも良心ある以上必らずや、心中穏やかならざる事は云ふ迄もなし。さればこそ己の心にとがめあるによって是をまぎらせんとして、恩人の事柄をあしざまに世間に吹聴するにてはあらざるか。恩人は平然として何も語らず。仇なすものは彼是世間に罵りの言葉を吹聴するもみな、己の心にとがめあるが故なり。是を以てしても明らかに神の道の正しきを知るならん。神の律法の曲げ難きをも知ることならん。恵を施したる者語らずとも、仇するもの其恩恵を受けしことを語り居るにてはあらざるか。小さき心にて見ることなかれ。他人に施しをなして仇を以て酬いらるるとも決して怒る勿れ。笑いて是を退けよ。知るものは神なり。天網恢々疎而不失と云ふ言葉あらん。唯自然に任せて直く清ければ其にて可なり。悔むに及ぶまじ。仇せられて怒らば其れにてすべては終りとなる。所謂1-1の関係にて零となるによつてなり。