ktmのブログ

未知日記を読んだ心象を記事として記録しています。なのでこれは独り言です。

No.43

死してからも魂は不滅として存続する…

これを前提にして果たして生活しているか?

実生活においてその類の話は全て宗教的に受け止められてしまって、単なる個人の信条位にしか思われない。実社会における理念にも、例えば医療や介護の分野においても魂の不滅が本当に事実として受け入れられる社会になれば全く違う形になるのではないかと思う。

80~90歳の方のリハビリの様子をテレビで見た。顔を顰めてやっていた。滅するものを不滅にするかのように。そして死んでしまったらそれで終わり。不滅のものを滅する方へ。そのような話とは次元が違うのかもしれないが今の自分にはそれも逆自然なのかなと思う。畜生道とは違うかもしれないが一度その価値感に陥ればなかなか抜け出せないのは慈音師の様子で例えられているように見える。人生で本当に意味のあることは何か。まだ自分にはわからないがそこは教主や貴尊方が仰るように唯油断せず拝みを続けること、未知日記をよく読んで智恵を深めることを自分の今出来ることとして実践する。

No.42

何も考えずに惰性でいると、外部からの刺激に反射的に生きている。またその受け取り方も過去の習慣性により人それぞれ。すべて相対的なものと感じる。その外界からの刺激は言葉に変換されて自分の中で"これはこういうことだ"と納得している。その言葉の内容も自分が変わる度に変化している。”他のものに心を移さず~からの文について、先ず”我等に身も心も任せて歩み居らば”の我等の存在を信ずる心を持ちたい。実際のところはまだ”有難い教えの中の架空の存在”くらいに思っているかもしれない。日常生活の中で常に教主はじめ貴尊方の目があるとの意識を保てていない。動物性に実感を持っているせいなのか。

動物性…動物は外部からの刺激に反射的に生きている。虫が触覚を動かしながら彷徨うイメージ。

物質的なものはエントロピーの法則のようにやがて崩壊し平衡状態になる。それに逆らうものは情報との事。情報…知性や智慧を情報と置き換えると魂や生命意志と言われるものも何となく実感できる。そこに知性がなければこの世は崩れていくだけ、又は何もない平衡状態の死の世界なのかもしれない。

何となく智慧に太陽のイメージが湧く。

No42


1時間くらいかけて記事を書いてみたのですが手違いで全て消えてしまいました。           (´・ω:;.:...

もっと良く読み込んでから書きなさい!との貴尊方からのメッセージかもしれませんね。また明日読み直してからもう一度書いてみよう。